要は勇気がないんです

 他人にかける声や気遣いや、もっと言えばほとんどのアクションというものは、極論すれば(出た、理屈屋中学生の使う必殺技何でも極論)、みんなおせっかいのような気がします。

 しかし複雑なことに、おせっかいにもされて気持ち良いおせっかいと、不快なおせっかいがありまして。ほぼ同じような事を同じ調子で言ってても、発した人によってありがたかったい欝陶しかったり、というのはよくある話です。また、当然、受ける人によっても、同じ人からの同じようなおせっかいを是としたり非としたりがあります。

 他人を助けるのは良いことだ、という、単純な倫理に照らすと、喜ばれるおせっかいはできるだけやっていきたいところです。しかし、どんなおせっかいなら笑って受けてもらえるのか、よく分かりません。というか私の場合もっとネガティブに、私のおせっかい、ひいては他人へのあらゆるアクションは、うざったがれるのではないかというのが不安で仕方ありません(裏返せば、私が他人の「おせっかい」をうざったく思うことが多くて、その反映なの……かも)。

 だから、例えばマンションの管理人さんが転んで怪我をしたらしいと噂で聞いても、管理人さんに会った時に「怪我をされたとお聴きしましたけど、大丈夫ですか?」の一言が脳裏に浮かびつつも結局言えなかったりする毎日なわけです。怠惰なせいもあるけど。

 まあ、簡単にまとめれば、他人に働きかける時は勇気が必要だっつーことなんですが。私は勇気がなさすぎる。他人におせっかいを焼く勇気を持ってる人を尊敬するよ! ただしそいつが私にとってウザい場合は例外な!