繋がることなく触れあうために 2

 黒のココルさん(http://blackcocol.seesaa.net/)で配布されている、伺かのゴースト『only friend』の18禁二次創作SSです。性描写と、僅かな暴力描写があります。36000字強です。
 『only friend』、或いは伺か自体を知らない人でも最低限は読めるようにしたつもりです。配布サイトでプレビューが公開されているので、それをちらりと見てからだとキャラの外見がイメージしやすいかもしれません。もちろん、ちゃんとDLしてからの方が楽しめると思います。

http://d.hatena.ne.jp/runa_way/20110322/1300796533 の続きです。




 お互いが大きめのバッグに持ってきていたタオルと着替えで、とりあえずの身なりを整えた。ベタベタだった股間周辺は、近くの公園のトイレでタオルを濡らして拭いた。それから、コウコが準備よく持ってきたレジャーシートを、尿の広がった場所から可能な限り離れた風上に敷き、二人で並んで座っていた。横座りのコウコが可愛らしい。
 僕は特に話すことが浮かばず、何か具体的なことを考えるでもなく、ぼんやりしていた。体の奥に残った熱を、夜風が冷ましていく。拭いきれなかった二人の性の名残(主にコウコの匂いだ)が微かに香る。
「あの」
 声がかけられ、コウコを見る。少なくとも外見や表面的態度は、もういつものコウコだった。クールで、辛辣。僕のことなど軽蔑しきっている。
「さっき、私、変なこと聞いたじゃないですか。私の体、他の人と比べてどうかって」
 ――聞いたね。変なことじゃないと思うけど。僕の答えは本気だよ。
「じゃあ……。私の、内面の方は、どう見えますか。いえ、私は、私のことを分かっているつもりですが。それでも、一応、私の素を見た他人の目というのはあなたがほぼ初めてなので」
 僕は即答出来なかった。コウコが、なぜこんなことを聞くかを考えてしまう。
 他人は自分の鏡だ、という話を聞いたことがある。人間は、他人という鏡に映った自分を見て、自分のパーソナリティを構築していくのだと。人は他人との関わりで、他人に見せた自分、他人から見られているらしき自分で自分を定義する、ということだ。だとすれば、他人との関わりを極力断ち、素を一切見せないコウコは、自分の輪郭が酷く薄いのではないだろうか。脆い自我。未発達なパーソナリティとアイデンティティ。コウコの個性というか、人格の特殊性は強いとは思うが、問題はそういうことではない、のだろう。自分の顔を知る手段が自分の手で触ることしかないのは、きっと、とても寄る辺ない。
「…………。ますます変なことを聞きましたね、私。何でもないです、忘れてください」
 僕が少し口を閉ざしていたせいで、コウコはそうやって問いを撤回してしまった。追う。気の利いたことも思いつかなかったが、浮かんだことを言う。
 ――コウコは、前衛芸術の彫刻みたいだと思う。
「……何それ」
 きょとんとした表情のコウコ。
 ――理解や接触を拒んで。なんかよく分かんないとこで曲がったり捻じれたりしてて。でもギリギリで危ういバランスが取れていて、意味があって、努力と共に作り出されて、ある意味では美がある。そんな風に見える。
「……へえ、そうですか。へえ。前衛芸術」
 僕の言葉を吟味するようにコウコが繰り返す。
「私にはああいうのって奇形としか思えませんけどね。回答どうも。褒めてくれたのかもしれませんが、それについてお礼は言いませんよ。褒めるのが目的だったのではなく、率直な意見だったと思いたいので」
 ――それで合ってるよ。
 そして二人とも視線を外して何も言わない。静けさの中で僕は、今日コウコにしたことを思い返す。それは確かに僕がしたことで、けれどどこか現実感がない。でも、僕がしたのだ。その認識がとぐろを巻き、僕に口を開かせる。
 ――コウコ。
「なんですか」
 ――ごめん。ちょっとやりすぎたかもしれない。
「…………」
 コウコは、無表情で僕の顔を観察し、
「……は」
 氷点下の唇の歪ませ方をした。
「これも、安易な手ですね。ひどいことをして、謝って、点数を稼いでみせる。せせこましい。それとも、本気で謝ってくれてるんでしょうか。そうだとしてもDV男の典型ですよね」
 僕はぐうの音も出ない。前者の経験もある。僕を信頼させるために、敢えて意地悪をして、そのあとごめんと言う、というのは、正直、相手に応じて何度もやったことがある。今のコウコへの謝罪は、そういう打算ではなく、自然な物のつもりだけど、言われてみれば確かにDVの構図だ。それに、ただ何となく謝りたかったからしただけで、誠意などは籠もっていない。籠められようもない。
 ――……ごめん。
 もう一度それだけを口にする。コウコは、しばらく僕を見据えて、小さくため息をついた。
「いいですよ、別に。あなたがそんなだから私は選んだんですし。でも、気にしてくれるなら、見える所に傷が残りそうな暴力は控えてほしいですね」
 ――わかった、じゃあ、
「ああ、約束とかはいりません。あなたのことです、ちょっと気が高ぶったらどうせ破られるんでしょうから。反故にされると分かって約束をするなんて、馬鹿馬鹿しすぎますもの。ただ、一応私の要望を伝えておいた、というだけで十分です」
 何でそこまで、と思う。僕にとって都合がよすぎる。そこまでして、コウコに何が残るのだろう。コウコはもう少し欲張りになったっていいんじゃないだろうか。
 ――覚えておくよ。覚えては、おく。
「よろしくお願いします。ところで」
 コウコが空気を切り替えるように言った。僕もそれに従う。
「あなたの誕生日はいつですか」
 ――祝ってくれるの?
「あまりしたくないですけどね」
 ――プレゼントは愛がいいな。
 じとっとした目つきを向けられる。
「無理だって分かってるでしょう……」
 ――じゃあ愛液でいいや。可愛い小瓶に詰めて。
「……頭がおかしい」
 汚物として見られた。
「あなた、元からかなりの物ですが、最近ますます下品になってませんか」
 ――そうかな。コウコの前で素直になれるようになってきたのかな。心の殻を取り除いた的な。
「たわ言はいいですから、誕生日を教えてください」
 僕はコウコに日付を伝える。
「…………? え、でもそれ前と……」
 ――あれあれぇ? コウコ、僕の誕生日教えた時に、覚えませんよとか言ってたのに、覚えててくれたの?
「! ち、ちがっ! ただ、ただそう、そうです、季節が」
 ――季節は大体同じ頃だけど。っていうか月が同じだし。
「……っ。うるさいな! バーカバーカ! 何がごめんだ! どっちが本当なんです!」
 ――前言った方。忘れたなら言い直そうか。
「脳容量の無駄遣いをしてたんで結構です!」
 ふん、とコウコはそっぽを向いた。僕は笑ってしまいそうになるのをこらえて言う。
 ――コウコは何だかんだで親切だなあ、バレンタインもチョコくれたし、こうやってお返しもくれようとするし。僕としても色々贈りたくなるよ。
 その言葉に、く、とコウコの顔が強張った。軽い頭痛をこらえるような表情を見せる。
「冗談でも、そんな風に言わないでください。……優しいとか、親切とかじゃありません。ただ、借りを作りたくないんです。あなたにまで、負い目を感じたくない」
 冷えた、色のない、墨汁じみた声が、訥々と。
「だから、あなたからのプレゼントとか、やめてください」
 コウコは、着替えたスカートの膝の上で、固く手を握り合わせて、そこに新月の夜のような目を落としている。
「私は、あなたとは触れていたい。肉体も人格も、接触はしていたい。でも繋がりたいとは思わない。いえ、繋がりは絶対に避けたいんです。恩を感じたり、懐いたり、絶対にしたくないんです。そんなの、苦痛でしかない。恐怖でしかない。コンドーム、ですよ。セックスはしたくても、妊娠はしたくない。だから……。分かってください。お願いします」
 それは決して脆い口調ではなかったけれど、冗談で返す気にはならなかった。ただ、少し気になった。
 ――コウコは、本当に誰とも繋がりたくないの? このままずっと?
 それは、何の気なしの問いかけだった。当たり前です、という返答がくると思っていた。だが、なかなか答えは返ってこなかった。一分ほどしてから、機嫌を損ねてしまったのかな、とコウコの様子をうかがう。
 コウコは、目を見開いて膝の上の手を見つめたまま、無音で涙をこぼしていた。
 ――ちょ、コウコ?
 コウコが、僕の方を見もせず、涙を流したままで叫ぶ。
「私だって……。私だって、できるなら誰かと親しくなりたいに決まってるじゃないですか! 信頼しあう温かさとか味わいたいに決まってるじゃないですか! でも、私には無理なんですよ!! 知ってるくせに!!」
 僕らしかいない路地裏に、その声は響いた。
 鈍すぎる僕は、コウコが必死に押し込めていた物に不用意に触れてしまったのだと、今になって気付く。それと同時に、今日も何度か浮かんだ疑問の答えが、少し分かった気がした。
 コウコはどうして、気持ち悪いと感じる僕に会おうとするのか。そんなのシンプルなことだった。結局、コウコは人が好きなんだろう。当たり前だった。コウコは、人に嫌われるのが異常に怖いけれど、それ以外は普通の人間だ。孤独に耐え続ける精神性なんて、持ち合わせちゃいない。だから、不快な相手でも、僕に会おうとした。人は一人では生きられなくて辛い、とコウコは言ったことがある。僕はそれを、社会的・経済的な意味で、だと思っていた。けれど、それはきっと違っていたのだろう。コウコの精神もそうなのだ。一人でいたくても、物理的社会的にだけでなく、心も誰かを求めてしまう。近付けば苦しむだけだと分かっていても、それでもなお。まるで、呪いや懲罰のようだ。
 どうしてだろう、泣いているコウコの気休めになりたいと思った。
 ――いつか、できるかも、しれないじゃないか。人は変わる。コウコだって。
「……それは、飢餓者に食べ物の匂いだけを嗅がせるような発言ですよ」
 僕は、肝心なところで口下手だ。慰めるつもりで、抉ってしまう。
 ――ごめん。
「謝らないでください」
 僕は沈黙するしかなかった。微かに、コウコが鼻をすする音がする。そのまま、しばらく僕は路地の影を見つめ続けた。コウコが何を見ていたのかは分からない。コウコのことが少し理解できたつもりになったって、その程度のことすら分からない。
 コウコが涙をおさめた頃、やっと僕はコウコを見て、口を開けた。
 ――いつか、コウコは、僕がコウコに何を望むかって聞いたよね。僕がコウコから何かを得られていないと落ち着かないって。僕は、コウコが僕を好きかどうかはどうでもいい。僕がコウコと会うのは、殴らせてくれるからでも、抱かせてくれるからでもない。ただ、なんとなく会いたいんだ。だから、さ。コウコ、まだ、僕に少し気を遣ってるじゃないか。そんなの、なくしていいよ。嫌なことは嫌と言えばいい。それでも多分、コウコがコウコっていうことから逃げられないように、僕は僕だから、僕は駄目な人間で、コウコが僕を好きになることはないから。
 気休めにもなっていないという自覚はあった。コウコが、人と親しくなりたくて、けれど人が怖い、という核心に対する何の助けにもなっていない。けれど、僕にはこんなことしか言えなかった。
 それに対し、コウコはまだ濡れている瞳を僕に向け、ゆっくり首を振った。
「……嘘、ですね。そんな発言は、私にとって都合が良すぎる。気紛れなご機嫌取りは結構です。それで私がほだされたらどうするんですか」
 そう、嘘だ。僕は、コウコがいつか僕に親しくなってしまう変化を見たくて会い続けているし、思うさま殴れるから、セックスできるから、というのも大きな要素だ。それにコウコは、こうして大嘘つきな僕の嘘を見破ってくれる。それも凄く嬉しい。いつか、コウコが僕の嘘を全部見抜いて、それでも僕を必要としてくれたら……いや、やめよう。そこまで依存したくはない。僕はこんなコウコに更に何を求め、奪おうというのだろう。言い訳程度の自制で、僕は、コウコに、僕の望みの全ては言わない。コウコに期待を押し付けたりはしない。僕はコウコが好きだから。好きなはずだから。
「私は、あなたが最低で、私と時々会ってくれていればいいんです。それで満足です。気遣いなんて、いりません。分かりましたか?」
 まるで判決を告げるかのような声で、穏やかとすら表現していいような表情で、コウコは言う。
 本当に、コウコはもっと欲張りになるべきだと思う。きっともう、欲を張ることに疲れきってしまったのだろうけれど。そして、僕が与えられる物は、ほとんどない。薄っぺらな僕が持ち合わせている物は凄く少ない。それでも無理に与えようとすればコウコは僕の前から去る。そもそも、人を弄ぶ習性の僕は、こんな風にコウコのことを思い続けることができないだろう。今は、コウコの心を少しでも安らがせたいと思っている。でも五分後には、また酷いことをして、身も心も傷つけようとしかねない。
 それでも、ただ、僕に人間性がある今の内だけは、と思う。願う。死という破滅が運命づけられていてもなお、生きて現世の幸せを求める人間の象徴のように、今は。
 僕は、コウコの手を握った。コウコもそっと、自然に僕の手を握り返した。繋がることなく、触れあうために。僕たちは、そんな関係だ。もう少しの、間は。


【END】