作品を分析的に見れない

 先週、NHKBSの週刊ブックレビューっていう番組を初めて見たんです。あの番組面白いですね。作家さんや著名人が三人来てお勧めの本を紹介したり、新刊を引っさげてゲストに来た作家さんにインタビューしたりする番組です。詳しくはwikipediaでも見てください。

 先週の特集は、ミステリ作家の道尾秀介という作家さんだったんですね。初めて知った作家さんでした。

 その道尾さんが、「自分で自分の一番好きな小説を書いているんです。だから、もし僕と完全に好みが一致する人がいたら、僕の小説はその人にとって一番面白い本になると思います」と言ってて、すげえなと思いました。

 既存の作品に不満があるから、自分自身が楽しめるような小説を書くことにしたんです、っていう作家さんは結構いますけど、実際にそう喋っているのを見るのはインパクトがありました。

 だって凄くないですか? 自分で自分の気持ち良くなれるポイントを完全に掴んでて、しかもそれを紙上に完璧に反映させることができて、なおかつ作品という一定のまとまりのあるものに仕上げるんですよ。何だそれー。

 翻って私を考えるに、作品は作れませんね。思うことを紙上に再現することもできませんね。っていうかそもそも、自分がどうなれば気持ち良くなれるかが分かりません。本を読んだり映画を見たり絵を見たりして楽しくなれることはもちろんありますけど、何でか良く分からないけど楽しい、という受け取り方です。

 うーん。私は美意識が未成熟なのか? それ言ったら何もかも未成熟っすけどー。

 そういえば、文章や絵やその他色んなことがうまくなりたいなら、好きな人の作品がなぜ良いと思うのか分析しろ、という教えを何回も目にしてきました。でも未だかつてやったことがない。一文、二文レベルで注目することは極々たまーにありますけど、「うわー、このフレーズすげー、どっから出てきたんだー、俺には真似できねぇー」で終わってしまいます。

 なぜか、分析的に物事を見るということに、どうしても抵抗があります。色々な観点から見たり、その仕草の意味を考えるというのは、すごく疲れてしまうし、やっててわけがわからなくなってしまいそう。どこまで細かく考えればいいのかも、きりがなくなりそうで怖いです。頭を使いたくないんだなあ私……。いやそんな頭を使わないような、たとえばこの画家さんは目をこういう風に書いてるから真似してみようとか、その程度の分析・研究すらしたくありません。本当にどうしてか分からないんですが。

 他の人の優れた所に着目するということは、現時点の自分はできていないということも目の当たりにすることになります。そこで私の脆くて高いプライドに傷がつくのが怖いのかもしれません。自分はできないということは変わらず、結果的にはそっちの方がみじめだというのに、目先のちょっとの苦労と屈辱すら嫌がってしまう。

 そんなこと言ってやろうとしないから、自分の好みも分析できていないし、技術も進歩しないんですけど、だって嫌なんだもん! 必要に駆られりゃやるのかなー。必要に駆られてもやらないままでどんどん落ちこぼれていく、というのが今までの人生だから期待できないなー。自己改革が必要だなー。する気ないけどー。やっぱ必要に駆られてもやらないんじゃーん。もう死んだ方が良いよ。